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おかあさん。

4月4日。
母の命日。
お墓まいりに。おとなりで眠っている、父のお墓にも。

いきなりの暖かさに、桜はおわりかけ。
平日の霊園は静かにお日様をあびていました。

お墓まいりにいらしてくださった皆さまに、心から感謝申し上げます。
不精な長女も、えっちらおっちらと、行ってまいりました。

いつまでも、両親や、祖父母や、いろんなことを想うと、胸の奥がキュッとつまり、鼻の奥がツーンとしたり時々しますが、そんな時を繰り返しながら静かに、コツコツと、暮らしています。

家族は、それぞれ、それなりに幸せそうに暮らしていると思います。

死というのは、なんとも不思議なことだな、
なんだか、これは不思議だなと。
どうにもならないことを、そんなふうに考えます。
最近は、そんな風に考えることで、喪失感が和らいでいっています。

妹が、母のためにお菓子とお花を抱えて、お線香をあげに来てくれました。
すっかり、いい歳になって妹の背中を眺めて、妹が歳を重ねてきた、その姿の先に、母の面影や父のそれがダブって、また不思議な気持ちになりました。
命が繋がっているって思ったのかな‥。
母を思って選ばれた花や、お菓子を眺めながら、母の想いも繋がっていると感じました。

命日には、母の好きだった食べ物を食べます。
食いしん坊で、大好きな食べ物がたくさんあった、母。

美味しいものを食べた時の、母の大輪の花のような笑顔を思い出します。

なんで、もう一度、会えないのか、不思議だとおもいます。

姿は見えないけれど、何か、いろんなところに彼女が生きているんだと思っていたいです。
母を抱きしめることも、抱きしめてもらうことも、もうできないですけれど、
思いを抱きしめたり、抱きしめられながら生きているんだと感じます。

最愛の、おばあちゃん猫のことも、そんな風に思っています。

幸福(愛猫の名前です)には、まだ、もう少し未練が残っていて、思いすぎると、涙がこぼれてしまうんですがね。

へへへへ。

そんなふうに暮らしている、今年の春です。

ずっと、アマリリスだと思っていたら、君子蘭という花だったということを教えていただきました。

花言葉は、貴い・気高さ・端正・望みを得る・高貴・情け深い・誠実・幸せを呼ぶ。
親バカ子バカのようですが、母に似合う言葉が並んでいるような気もします。

シンフ。

ご無沙汰しております。
今年の冬は、寒さが厳しいですね。

東京の雪もすごかった。

大雪でご苦労されている地域の方々の日々を心配しております。

台湾での地震で被害に遭われた方々の安否もきになります。

私の日々も節分をまたぎ、ナンダカンダ。

大きな出来事は、愛猫が旅立ちました。
22年間。
私の人生の半分近く一緒にいた、
ということになります。
今まで一緒にいた、どの猫よりも長く暮らしました。
実家を出てから、ずっと一緒ということになりますかね。

幸福(しんふー)。

彼女が私のところに来た頃、
とても苦しく辛い時期でした。
思い余って、すごい名前をつけたもんだなって思います。
でも、よかったなって思います。

ムスッとした顔なのに、鈴のように可愛い声で鳴いていました。
大きな声は出さないし、いたずらもしない。
とても、頭の良い、我慢強い猫でした。

ここ数年、いつ旅立ってもおかしくないようでいるのに、
気持ちの強い猫で、まるで永遠にそばにいてくれるのではという様子で日々を過ごしていました。

本当に、相思相愛。

唯一無二の存在です。

最後の日、もう歩けなくなるという直前なのに、
私を探して、階段をおりてきました。
なんと心の強い子で、その強さに私はちゃんと答えられていたのでしょうか。

食いしん坊だったので、直前まで大好きな食べ物を鼻先にだすと、ちょこっと舐めていました。
猫は死期が近づくと、人から離れ暗くて涼しいところに篭る印象ですが、愛猫は人の気配を探していたように思います。

一緒に横になると、居心地が良さそうで、
時々、腕を伸ばし、私が側にいるのを確認しているようでした。
一緒に少し眠り、朝方に最後の呼吸が始まりました。

悲しみが深すぎて、今はボンヤリとしています。
愛猫の記憶だけがポワッと記憶の中で見えづらくなっています。

最後の時に、そばにいることができて、よかったです。

生前、私の愛猫を可愛がってくれた友人知人の皆さま、本当にありがとうございました。
人懐こい猫だったので、いろんな方々に可愛がってお心配りをいただきました。

私に振り回されて、大変だったかもしれないけれど、たくさん食べて、好きなところで眠って、
長生きして、幸せだったように思います。

いつも、いつも、慰めてくれて、愛してくれて、本当にありがとう。
そればかりを思っています。

この喪失感がいつまで続くのか、わかりません。

家に帰ったとき、
にゃーと迎えてくれる彼女がいないことは
なかなかの、感じです。

とても、さびしいです。

迎春。

2018年 あけましておめでとうございます。

年末年始は家族と過ごし、ドタバタ、爆笑の新年でした。

愛猫老猫は今年も元気で、ありがたいです。

同じ毎日など、ないんだなって、つくづく思いながら過ごしている、昨今。

飽きることなく、毎日を過ごしています。

たった、一夜で何もかもが新しくなるわけではありませんが、
節目にたって、気持ちを切り替える機会がを持つっていうのは、
悪くない考え方だなって思います。

桜はもう、花の芽が付いています。

東でも早々と初雪がふりました。

いつか、雪原でお正月を迎えて見たいと思っています。
あ、そうそう、チャイニーズニューイヤーで水餃子と爆竹って夢も
未だ果たせていないのだった。

後何回、お正月を迎えられるかわかりませんが、
そんな気分で過ごせる毎日を幸せだなっと、新年の明るい満月を見ながら思いました。

大きな満月で始まった、2018年。

丁寧に、大事に、過ごしたいと思います。

まあ、インプットも、アウトプットもせず、ダラダラしております。

姪が小さなクラウンを頭に乗せてくれました。
ちょっとだけ、貸してくれたんだそうです。

2017 2018

さよなら、昨日。

こんにちは、明日。

来年も、ゲラゲラ笑って、

過ごせる時間が、たくさんありますように。

たまに泣いたり、怒ったり、するかもしれないけれど、笑顔へつながりますように。

くる明日が、

皆様にとって、私にとって、

美しく平和な未来でありますように。

良いお年をお迎えください。

姪はピンクフラミンゴ、テントウムシミックスでキメています。

秋から、冬へ、日々。

世の中の流れに乗ってというか、なんというか。

instagram ばかし更新。

自分の心と身体、頭の中を整理する時間、大事にしたいな。

しかし、映画見たり、芝居見たり、ブラブラしとります。

ちょこりと参加した作品が公開されたりしております。

現在は
東京国際映画祭コンペティションに出品された瀬々敬久監督作品「最低。」が絶賛公開中。
村本天志監督作品「AMY SAID」も各地で。
黒沢清監督作品「予兆 散歩する侵略者 劇場版」

などなど。ぜひ、お近くの劇場へお越しください。

まだ11月なはずなのに、なにか年末気分。

冬となったら、雪が見たくなりますね。

なんつって、都会で防寒対策しすぎて、のぼせながら歩いています。

姪が七五三。

やっと三つ。

お祝いの飴をむしゃむしゃ食べてました。

甥は叔母をやっと認識してくれ、安心して抱っこさせてくれるようになりホッとしました。

やっと一つ。

お参りした神社では結婚の儀式をしている方々も見かけました。
白無垢のお嫁さんを眺めながら、小さな姪をみて、なんとも言えない気持ちになりました。

彼女と彼が大人になって、成人した姿を見ることができるのか、いささか自信なく、
ましてや、お嫁さんになっり、お婿さんになったり、
そんな姿を見ることはできないかもしれません。
それでも、いまの目の前いる、その姿を見ることがでただけでも、いいなって思います。
とてもいいです。

広い世界へむかって、笑顔でどんどんと、歩いて行ってください、と願います。

まあ、ちなみに、あたしゃ成人式はブラブラ旅に出ていてやっていませんし、結婚式もありませんでしたけど、まずまず笑いながら未来を生きているように思います。

おじいちゃん、おばあちゃん、みてますかね。
あなた方の孫達は、とても元気でかわいいです。

ヒビハスギユク。

ノタノタ、コウシン。

チョット、ボンヤリシテイルノカモシレマセン。

いろんなことが早く過ぎていたり、ゆっくり過ぎていたり。

手のひらに乗っている、小さな画面ばかりみていて、
デスクトップは何のためにあるんだっけといった、感じです。

告知も怠けていますが、ちょこちょこ働いてますったら。

いやいや、どうして。

まあま、いろいろです。

こちらもたまに覗いてくださいね。

新宿テアトルにて絶賛公開中の村本天志監督作品「AMY SAID
今週末はシネ・リーブル梅田にて、上映が始まります。
そして10月28日より、渋谷ユーロスペースに引き継がれます。

東京国際映画祭にて、瀬々敬久監督作品「最低。」 竹下昌男監督作品「ミッドナイト・バス」 が上映されますので、公開に先駆けての上映です。

ぼちぼち、よろしくお願いいたします。

いちねん。

面白くて、可愛くて、よく懐いてくれて、乱暴なようで、優しい言葉がポロポロ溢れてくるような人でした。

可愛いあの子の一周忌。

あの子の、柔らかくふやけたような笑顔を思い出しながら、今日を過ごしています。

胸がきりきり痛いです。

わたしはなにもできなかった。
かなしいです。

秋の始まり。

お誕生日の月の終わり。

愉快な仲間に集合をかけました。

まだ、プールに入れるよって、青い唇して笑えるぐらいの、秋の始まりでした。

友人が腕をふるってくれた美味しいメニューをほおぼりながら、
美味しいお酒を酌み交わし、
なんてことないことで、たくさん笑って。
知らない間に、誰かの声を聴きながら、ぐうぐう眠って。
誰かのクスクス笑う楽しそうな声で目が覚めて。

こんな日が、あるんだなってぐらい幸せでした。

いろんな日々がありますが、
最近は大人になるっていいなって、思いながら過ごしています。

そんな風に思える、今日があることを、親に感謝したり、
いつも支えてくれている家族や、友人達、
ありがとうございますって思いながら、
ちょっと泣いたりしました。(ちょっとです)

おたんじょうび。

一年で、もっとも自意識過剰になる今日ね。

そりゃさ、仕方がないよ。

世界とお別れのその日まで、自分の生まれてきた意味をうっすらでも
問いただすことに生きる意味があるかもしれないよねなんて、思う今日。

たくさんの、愛情に感謝いたします。

thank your for your kindness.
thank you for your tenderness.
thank you for your smile.
thank you for your love.
thank you for everything.

百恵か!

これからもどうかひとつよろしくお願いいたします。

ベットから落ちて目が覚めた、朝。

昨夜は、くたびれていて、ものすごく早い時間に眠りに落ちた。

夜明け前にうっすら、目が覚めて、またウトウトして。

ウトウトしているのに、なんでか、うわーんって、身体をビヨーンて伸ばした途端、ドタっとベットから落ちた。

そんなこと、ベッドってもので寝始めて人生で2回目ぐらい。

1回目なんて、いつだったか覚えていないけれど。

すっかり目が覚めて、起きてみたら、日本の上空をミサイルが飛んでいたらしい。