だいぶ、放置しました。
COVID-19 とともにある日々ですが、皆様、お元気でお過ごしでしょうか?
今日の、感染者は過去最多。
うがい手洗い、とにかく顔に触らない。
乾燥した日が続いていますね。インフィルエンザや、風邪にも気をつけたいですね。
気がつけば、向き合っているのは小さな液晶画面という日常から、どうにか抜け出したいのですが、自分の心を覗くように小さな液晶画面をのぞいてしまいます。
なるべく見ないようにするには、腕時計をつければ良いのではないかと思っていますが、時間が気になってるわけではありません。ンな訳だから、きっとさらに小さな液晶画面を腕につけてしまうんじゃないかと思います。
父は今際の際に携帯電話を握り締めていました。それは父の孤独であったのではないかと思います。
自分が生きていたという証を、誰かと繋がっていることで確かめたかったんだと思います。
その繋がりが掌の中にあると思えば、握り締めたくなるのも、わかります。
私は、ちゃんと父の手を握っていなかったのだなと思います。
そこには、私なりの、私たちなりの理由がありますが。割愛します。
ただ、見送る側としては、とても複雑で言葉になりきらない刹那を抱えました。
父の気持ちの全ては、わかりません。
彼の娘として、そばにいて、私の想いが胸に残っているだけです。
生きることは、世界と関わるってことなんだとおもいます。
関わるなら、ちゃんとしたい。ただ、そう思うんです。
携帯電話ではなく、手を握ってくれる人がいたり、握ってあげたりできる相手がいたらいいなって思います。
必要ない状態に心の状態にいられるなら、それはそれで、良いのかも知れませんが。
私はそんなに強くないように思います。
とても貴重な話を共有してくれて、ありがとうございます。自分の人間関係を考えさせました。
一昨年からかな、私はスマホを消す楽しさを見つけました。時々、スマホを消して、町や林道を散歩します。数時間だけでも、本当に落ち着きます。それでも、その数時間以内に、絶対ついその小さな液晶画面をポケットから出して、覗いてしまいます。「あ、そう、消したね」と。