ボチボチと、仕事が始まりました。
撮影の方法は、今の状況に合わせたもので、新しく設置された部門があったり、
ガイドラインを立てて、それに添いながら。
それでも働ける喜びが心の中にあるのだと、その場にいる皆から、自分の中から、感じます。
やっと息ができる。みたいに。
ねー、ねー、最近はね。
生きるということは、どういうことなのか。
生きている、その事実が苦しみでいっぱいにならないように、
生きている、そのことが喜びなんだ、なんていう瞬間をつなげていくんだなって。
知らないうちに大人になった、おチビが教えてくれた曲がそんなことを歌っていて、
うっかり泣いてしまいました。
私はおチビにさ、
人生ってのは、そんなことを見つけては、なくして、
もしくは忘れてしまって、また見つけて、ってな感じでさ、
そんなことの繰り返しかもしれないよ、
って、そう言いたくなったんだけど、ん、ちょっと違うかなって。
そりゃ私だけのことなのかもな。
他の人は違うのかもな。
あったものが、なくなってしまった時にはさ、そのことに、なじむまでに、もう少し、まだかかるかな。
もういないお母さんと、愛猫の夢を見た。
お母さんは、陶器の壺を抱えていて、でもなんでか、それがヨーロッパの田舎の焼き物みたいで、白地にブルーの太いラインが入ったもので、何が入っていたんだろう。
重たいから、持っていかないでいいよ。って私が言ったら、そうねって言ってぼんやり立ってた。
愛猫に気がついて、名前を呼んだら、にゃって、私の方を向いたけど、お母さんと愛猫は、なんか一緒にいるって感じだった。
なんだかわからないけど、一緒にいるって感じ。
目が覚めて、窓を開けたら、お母さんの大好きだった花が季節外れに一輪、咲いてた。
厳密には、一晩だけ咲く花だから、咲き終わっていたのを見つけた。
そんなよくできた話ありますかと、頭がジンジンして。
ついさいきん、なくしてしまったものも、夢に出てきたらいいのになって思った。
悲しい夢じゃないといいけど、楽しい夢だったとしても、目が覚め時に、
あぁ、夢だったのかって、また、なくしてしまったことを思い知るだけだから、嫌だな。
ただ、ぼうっとそこにある、みたいな夢だったらいいのかなって思った。
私は、ずるずると、先に進んでいる。
最近の私は、そんな感じ。
そんなことばかり、考えているんだな。
お母さんと、愛猫が、送ってくれたかもしれない、何かの大きなサインを受け止め損ねている気がするね。
生まれてきて、生きてきて、良かったんだって教えてくれた人と、幸福って名前の猫が、
おいおい、アタイらがいるだろって、言いにきたんだよな、
って思うことにする。
ずるずる、ぐずぐず、をギュッと掴んで引き出しの奥にしまう。
いつも素敵なメッセージありがとうございます。